パフェの下層

会社員とオタ活の記録

白昼夢の青写真と幻奏喫茶アンシャンテ

このゲームをやった後にこのゲームをすると相乗効果で感情が爆発して楽しくなることありませんか?

今回はこの2作品を連続ですることで感情が抑えられなくなったという話です。

 

両作品とも最高なので白昼夢の青写真→幻奏喫茶アンシャンテをプレイして感想を共有しましょう!!

 

※この文章は白昼夢の青写真(エロゲー)と幻奏喫茶アンシャンテ(乙女ゲー)の両作品最大級のネタバレを含んでいます。

 

エロゲーと乙女ゲー両方やる人種にこの2作品を白昼夢→アンシャンテの順でやることに興味をもってもらい感情を共有して欲しいため作成した文章です。

 

 

 

 

 

白昼夢の青写真のcase1にズタボロにやられた(好き)ため傷を癒すためにクリア後、幻奏喫茶アンシャンテを始めましたが、「世界になる」という言葉の重さが違います。

 

〜白昼夢の青写真紹介〜

「世界と呼ばれた一人の少女の物語」

ある日から世界の住民は3つの夢を繰り返しみるようになる。


主人公海斗は目が覚めると記憶はなく、横には世凪と呼ばれる自我を失った少女がいる白い部屋に軟禁されていた。

海斗がみる3つの夢は記録されていき、これらの夢が終わる時全ての目的を知ることになるが…。

 

〜幻奏喫茶アンシャンテ紹介〜

「いらっしゃいませ、ようこそ!ーー【幻奏喫茶アンシャンテ】へ!」


主人公琴音は超絶ブラック企業に勤めていたが祖父が亡くなってしまい遺された幻奏喫茶アンシャンテを継ぐことになる。

そこに来るお客さんは魔王をはじめとした癖のある人外ばかりで…。

 

幻奏喫茶アンシャンテをクリアした人にとって賛否両論が起こりそうな「世界になる」という部分を取り扱ったのが、白昼夢の青写真の謳い文句から分かるようにこの作品だったのです。

 

白昼夢の青写真はいわば世凪という少女が世界になるまでの過程を世凪の愛しい人(主人公)視点から描いた作品で、幻奏喫茶アンシャンテは琴音という少女が世界にさせられる姿を本人視点で描きその傍には琴音の愛しい人がいるといういわば視点補完として楽しめた作品でした。

白昼夢の青写真は個体というものはその人の過去から成立っている、それでは過去がなくなれば?

幻奏喫茶アンシャンテは個体という存在から姿がなくなっても、それは同一個体と言えるのか?

という点を問いているように感じます。

両作とも状態は問いませんがひとまずは「記憶はあり」「姿も一応はある」状態で再会します。

ただ両作とも現在(エンディング)は幸せですがその後については…………。

 

白昼夢の青写真はプロローグや謳い文句の時点で世凪が世界であることを示唆していました。

ですので、case1〜3プレイ中やcase0を進めていく中でも世凪はすでに世界or世界になるという事が常に頭にありました。

私はこの物語を読んでいる第三者であるため、世凪が世界なのは当たり前と思考のどこかにあります。

世凪が世界になった時やそれまでの過程もこの思考があったからこそ、物語が進んで欲しくない気持ち、世凪に行かないで欲しい気持ち、守らなくてはと思う気持ちがでてきてその気持ちこそが私にとって白昼夢の青写真をプレイしている時に愛おしいなと感じる気持ちでした。


一方で幻奏喫茶アンシャンテは最後のミシェルルート終盤にいくまで天界や妖精界という別世界こそ出てきますが、自分が世界の当事者になるという描写がありません。

終わりの世界に連れていかれた琴音が世界と融合するだなんてその時になるまで思いもしなかったのです。

だからこそ、琴音が終わりの世界そのものとなり人体という形を無くして灰や空、風となった時そりゃ驚きますよね。


この驚きをきっと世凪は自分の能力を利用して仮想空間を作るという発想に行き着いた海斗に対して抱いたのではないのでしょうか?

自分が仮想空間そのものになるというものを背負わされているという感覚を海斗視点での白昼夢の青写真では味わうことが難しかったですが、当事者である琴音視点で話が進む幻奏喫茶アンシャンテを読むことによりこの感覚を掴みやすくしてくれました。


また、白昼夢の青写真を経てどんな姿、どんな中身であっても世凪という個体を愛おしいと思う気持ちは変わりがないということを知っているため、幻奏喫茶アンシャンテで世界になった琴音に対してもミシェルが愛おしいと思う気持ちは、人外(ミシェル)と人(琴音)から人(ミシェル)と人外(琴音)に変わっただけだという考え方で作品内では結論づけていますがさらに説得力が増します。

 

このゲームを続けてやることでそれぞれのゲームで視点の都合上知ることが難しい気持ちを補完することができ、持て余すことなくそれぞれの物語を愛することができます。

両方とも空気感が違っておもしろいのに行き着く先が同じなのがまた良い点ですよね。

 

両作品とも世界になるという終着点は同じですが、それまでの過程や空気感が全く違って両作品とも大変好きな作品です。